栗林さんの昆虫写真家としてのルーツ
一寸の虫にも五分の魂、という。小さいものにもそれ相応の意志や感情はある、といった意味であるが、虫にもいのちという神や意志が宿っている。
仏陀も悟りを得た直後、「奇なるかな、奇なるかな、万物に仏が宿っているとは!」という言葉を発したと言われている。
そこで、虫の眼で虫の世界を見たいと昆虫の知られざる瞬間を撮り続ける、今年79歳になられる栗林慧(さとし)さんのことをNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で知ったので、今回はこの方を取り上げてみました。
栗林さんは高校を卒業して自衛隊には入られたが、暇を見つけては昆虫の写真を撮り続け、その写真家をめざした。
アマチュアながら次々と賞を獲得、当時昆虫を分野とするカメラマンはいなかったので、たちまちたくさんの仕事の依頼が舞い込んできた。
そこで田舎に帰った。
今、栗林さんは、長崎平戸の自然豊かな環境で生きている虫たちを相手に、昆虫の宇宙を撮り続けておられる。
虫をこよなく愛する栗林さんは、虫遊びの名人でもある。
例えば、ハンミョウという虫の幼虫がいる。
小さな穴に住んでいて時々顔をのぞかせる、かわいい虫である。
それを栗林少年は小さな草の茎で、穴に突っ込んでハンミョウを引っ張り出してはこの虫と戯れるのである。
これを教えてくれたのは自然を愛するお父さんで、その他いろんな虫遊びを教えてくれたという。
その一つがハンミョウ取り。
栗林さんの昆虫写真家としてのルーツは、どうやらこのお父さんとの虫遊びにあったようだ。
栗林さん一家は、仕事で東京へ引っ越してからそこで、田舎者と言われていろいろないじめにあった時も、虫たちに救われたという。
父に教わったハンミョウ釣りはそうした嫌なことを忘れさせてくれた。
ある時、同級生の前でこれをやって見せた。
一瞬ですべてが変わった。
いじめのガキ大将が変わった。
こういうことがいとも簡単にできるとわかって態度が一変したという。
そのガキ大将は「おまえ、たいしたもんだなあ」と思っているような顔を見せた。
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女王アリの愛情
ある日のこと。
栗林さんは、女王アリの子育ての写真を撮っていた時、その昔の近所の子ウシの出産のことを思い出した。
近所で子牛が生まれたというので、行ってみると、まだ立てない子牛を母牛が全身をなめていることを思い出したのである。
やはり女王アリも同じようにこの卵をなめて愛情を注いでいる。
することは同じだ。
ああ、やっぱり昆虫たちもいのちの神が働いて一生懸命に生きている。
自分がやるべき使命というのも「これだ!」と気が付いた。
栗林さんは、ただ単に虫たちを撮るのではなく、虫たちの感情が伝わる写真ををとりたいと言う。
虫たちが語り掛けてくる、そんな写真をとるのだ。
とにかく、栗林さんは昆虫たちとは仲間のような気がしていて、かわいくて仕方がないようだ。
その証拠に、栗林さんは、長い間思い描いてきた人生の終わり方は、どこかのジャングルの中でバターンと倒れてアリや昆虫達の餌になって終われたら本望だというのだ。
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最期はゲンジボタルのように
だから、九ヵ月に及ぶ幼虫の期間を経て、最後にまばゆいばかりの光を放つゲンジボタル、その生きざまに最後の自分を重ねている。
だから思う。
この晩年の自分もゲンジボタルのように輝きたい、と。
さて、自分の家から車で10分の小川、そこにゲンジボタルの幼虫がいる。
幼虫が陸に上がって来るのは、雨の降った暖かい日に限っている。
雨を待つ。
しかし、それから三週間、十分に雨が降らない。
何時もは、三月頃。
もう四月。
焦る。
いる いる、チラ、チラと少ないがゲンジボタルがいる。
だが、少ない、少なすぎる。
今年は少ない、温暖気候のせいか、生態系の変化なのか。
栗林さんは追い込まれた。
五月、蛍が舞う勝負の時を迎えているというのに。
こんな時期になって、果たして飛んでくれるのか。
夜七時半、やはり数が少ない、この三倍は欲しいと思った。
結局、この日も理想の写真は撮れなかった。
撮影六ヵ月目、まだ満足な写真はない。
それでも信じて待つ。
待つことしばし・・・・
あ! あ!
やっと栗林さんの求めに呼応したかのように、見事な数のゲンジボタルが現れ、飛び交い、輝き出した。
はやる気持ちを抑えながら自宅へ戻り、その最後の、蛍の光と水面(みなも)とが鮮やかに映っている最高傑作を見ることが出来た。
諦めないで実を結ばせた瞬間であった。
面倒くさいと思うことをやり、楽しようとせず、普通の人がやりたがらない時間と手間をかけた栗林さんの執念の賜物である。
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