気になる日本の祭り4―奈良桜井、大神(おおみわ)神社のおんだ祭

奈良桜井の大神(おおみわ)神社の由緒

奈良県は桜井市に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)は日本最古の神社と言われるほどの古い歴史をもっています。

弓前文書(ゆまもんじょ)によれば、出雲や伊勢や鹿島よりも古い歴史があります。

大神神社

このお社(やしろ)は4世紀半ば頃、九州を出発した崇神天皇(すじんてんのう)は、この当時、最も国内の中で勢力があった今の奈良県の三輪(みわ)一族が祀っていた大神神社に対し、大国主命(おおくにぬしのみこと)の分身である事代主(ことしろぬし)に加えて生物の神である大物主(おおものぬし)を加えて当時の「美山(みま)の国」の国魂(くにたま)として祀(まつ)ると宣言したことに始まります。

この伝承が「 大国主の神が国譲りの時に、己(おのれ)の和魂(にぎたま)を八咫鏡(やたのかがみ)に取り付けて、倭ノ大物主櫛甕玉命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)と名を称(たた)えて大和(やまと)の神奈備(かんなび)に鎮座した。

これが三輪神社の創始である」(『出雲国造神賀詞(いずものくにこくぞうしんがし)』)という伝承になっているのです。

弓前文書の中の歴史書によれば 三輪山の麓に 祭壇を設け、当時の国の大君にして神官でもあったハツクニスメラミコト(はじめて国の大君になられた尊) の崇神 自らが三輪の神に向かって、国の君としてこの三輪の神を美山(みま)の地の国魂としてまつり、さらに大国主のもうひとつの側面であるその子、大物主(おおものぬし)の力を加えてまつる許可を大国主の大神から得ていることを宣言したのです。

そして改めて大神(おおみわ)の神として祀るということにしたわけです。

こうして太古の昔から祀られていた大神神社の土地の御祭神を三輪 の国珠(くにたま)であると同時に改めて事代主(ことしろぬし)に次ぐ大国主の御分霊「大物主(おおものぬし)」として祀ることになったのです。

この詳しい神々のつながりの構造については、拙著「古事記、祓い言葉の謎を解くー伊勢・鹿島・香取・春日の起源」(叢文社)に書いてありますので興味のある方は御覧いただければ幸いです。
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おんだ祭

ところでこの大神神社の祭礼には、とてもユニークな「おんだ祭り」と言うお田植え祭があります。

同じお田植え祭りでも、よくあるような平均的なものではなくて、なんともユーモアに溢れたお祭りなので、ここに是非紹介してみたいと思います。

おんだ 祭りは 田植えの時期に備えるというよりは、もっと早くにその年の初めにその年の豊作を予祝 するお祭りとして執り行われます。
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拝殿内の”おんだ祭

まず祭典の中で行われる場所は水田ではなくて大神神社の拝殿です。

そこを水田に見立てて 神職扮する田作り男や早乙女が農耕の所作を演じていく神事です。

拝殿の上の白丁を着た田作り男に扮した神職と参拝者との間に掛け合いのやり取りが行われ、そのやり取りが笑いを誘い本当に楽しくなるようなお祭りが見所のひとつです。

面白いセリフのやり取りで田作りの所作を演じて行くのです。

苗代が出来上がると 水口(みなくち)神主が鍬と扇子を持って水口鍬(みなくちまつり)を勤め、 御神前から撤下(てっか、下げること)された籾種(もみたね、稲の種となるもの、種もみ)を田作り男が古風なセリフ回しをしながら種を蒔いていきます。

このセリフを喋りながら所作を行う田作り男が面白く人気を集めています。

牛の形をした木の牛使いの所作とか、とにかく田作り男はユーモアあふれるセリフを口上にのせて、また拝殿近くに寄ってくる参拝者に対して”播(ま)こうよ、播こうよ、良い種播こうよ、白銀(しろがね)の種、播こうよ”といったセリフを言いながら参拝者の方に向かって声を発っします。

ユーモアあふれる田作り男

それから早乙女姿の巫女が、松葉を苗になぞらえて田植えする所作を行います。

こうした一連の田作り男の面白いセリフに参拝者の間で思わず爆笑が起こりますが、この笑いが大きければ大きいほどその年は豊作になると言われています。
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祈りを実りに変える予祝(よしゅく)神事

これはおそらく、人々の喜びの予祝 (よしゅく)の想念が増幅されてその意識の集合体による「観察者効果」と言われる量子力学的な動きによって豊作がほんとうに実現するということ、そういう科学的な言葉は使わなくても、とにかくそういう信仰があるということだと思います。

このように日本の神社神道の神事にも、このお田植え祭りのような予祝行事によって前もって五穀豊穣を仮想し、前祝いすることによって、つまり、こうした呪術的(じゅじゅつてき)な所作によって 吉事(きちじ、めでたいこと)を先取りする神事が、実際に大昔から全国的に執り行われています。

要するに不可視のエネルギーを神事として重んじることで祈りの現実化をはかる、という信念がその底に流れているように思われます。

そして、なんと、これが今流行りの「引き寄せの法則」にも通じる「祈りを実(みの)りに変える原理」を日本人は大昔から直感的、本能的に分かっていたということなのではないかと思います。

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