気になる日本の祭りを訪ねて2-京都賀茂神社の葵祭(あおいまつり)のパワー

京都 上賀茂(かみがも)と下賀茂(しもがも)神社の葵祭

今回は、京都三大祭り、八坂神社の祇園祭、平安神宮の時代祭り、賀茂社の葵祭の中の葵祭(あおいまつり)をとりあげます。

葵祭は、京都市の下鴨神社、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と上賀茂神社、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)にて行われる祭で、別名、賀茂祭とも言います。

上賀茂神社と下鴨神社の例祭の「賀茂祭」は、一般に「葵祭」と呼ばれていますが、その起源は、6世紀の欽明天皇の御代に、自然風水害と凶作が続くということが起ったことにはじまります。

天皇の命により卜部(うらべ)の伊吉若日子(いきわかひこ)が占いを行ってその原因を占わせたところ、「賀茂の大神に丁寧なお祀(まつ)りをしていない」ことわかり、早速、賀茂社に祀りの誠を捧げた結果、天候は回復し豊かな実りに好転していったということです。

これが「葵祭」のはじまりだとされています。

それから両神社には、毎年の例祭には天皇から勅使(ちょくし、天皇のお使い)が送られ、人々の幸せと世の平和を祈願される場所になったといいます。

祭りの当日、上賀茂神社を訪れた勅使は、祓いの水である「ならの小川」の上に設けられた「橋殿(舞殿)」で天皇からの祈りが奏上されます。

そして、それを聞き入れたことを代わって伝える「返し祝詞」の言葉が、神様が降臨した「岩倉」と同じ意味合いを持つ「岩上(がんじょう)」と言う所で下されるのです。

上賀茂神社

葵祭といえば華やかな時代行列が有名ですが、天皇の勅使をお迎えして神様に祈りを捧げることこそが本来の祭りではあります。

祀(まつ)るとは、古代やまと言葉では「マパツル、Mapaturu」ということで、神という真(まこと)のエネルギー(これを恩頼<みたまのふゆ>という)が降臨するように、言葉と礼儀の誠を尽くして積み重ねる行為のことを言います。

これを古人は「神は人の敬によってその威を増し、人はその神の徳(恩頼<みたまのふゆ>)によって運を添う」と言っています。

葵祭は、日本の祭のなかでも特に優雅な祭ですが、古くは王朝貴族の行事として行われました。
平安時代においては、「祭」といえば葵祭のことをさしたといわれるほど有名な祭だったそうです。
この祭の特徴としては、日本の祭のなかでも数少ない王朝風俗の伝統が残されています。

5月3日の流鏑馬神事

下鴨神社の境内にある糺の森で行われます。
公家風の装束姿や武家風の装束姿をした射手(いて)たちが馬に乗って疾走しながら、3つの的を射抜きます。

5月5日の斎王代以下女人列の御禊の儀

毎年、場所は上賀茂神社と下鴨神社の交代で行われます。

下賀茂神社の流鏑馬(やぶさめ)神事

葵祭の斎王代や40人の女性が御手洗池に手を差し入れ、身を清める神事です。

斎王(さいおう)とは、賀茂神社に奉仕するために皇室から差し出された内親王のこと

斎王というものがこの賀茂社には置かれているのです。

これは伊勢神宮の斎宮にちなんで斎院が置かれたものです。

古代の神がかりする女性の斎主を再現させたものをいい、鹿島神宮や香取神宮にも物忌(ものい)みといわれ男性神職の宮司よりも上位にありました。

現在でもこの形を残しているのは、伊勢神宮だけですが、現在の伊勢の斎宮は徳仁(なるひと)天皇の妹君に当たる礼宮(あやのみや)様  です。

さてこの葵祭りでは、一見すると、その斎王の代理である女性のきらびやかな斎王代(さいおうだい)が主役のように見えますが、祭りの主役は実は、天皇の使いである勅使代なのです。

有名な源氏物語には、光源氏がこの架も社の勅使代をつとめる場面が出てきます。

斎王代(さいおうだい)

そして「源氏物語」の中では、葵の上と六條御息所(ろくじょういやすどころ)との見学争いの場面がでてきます。

それほど貴族たちが見物にやってくるほどの貴族のお祭りだったということです。

葵祭は石清水祭(いわしみずさい)、春日祭(かすがさい)の三勅祭(さんちょうくさい)の一つであり、庶民の祭の八坂神社の山鉾巡行に対し、貴族たちの朝廷行事という感じがあります。

平安時代以来、国の行事として行われてきた歴史があるからです

1956年から葵祭に斎王列が復興され、京都にゆかりのある一般女性から「斎王代」が選ばれます。

斎王代に選ばれた女性は唐衣裳装束を着用し、白塗りの化粧をします。
葵祭の主役ともいわれる役割です。

斎王代(さいおうだい)

歩射神事(5月5日)

下鴨神社にて行われる神事です。

葵祭の沿道を弓矢を使って祓い清める魔よけの神事です。

馬上で行われる流鏑馬に比べて、地上で矢を射ることに由来しています。

御陰祭(みがげまつり)(5月12日)

下鴨神社にて行われる神事です。

比叡山の西麓の御蔭神社(みかげじんじゃ)から葵祭の心霊を迎える神事です。

御蔭神社から下鴨神社までの道のりの一部は徒歩で巡行が行われ、神霊を乗せた神馬の前で優雅な舞東游(あずまあそび)」が奉納されます。

斎王代以下女人列の御禊の儀(5月4日)

毎年、場所は上賀茂神社と下鴨神社の交代で行われます。

葵祭の斎王代や40人の女性が御手洗池に手を差し入れ、身を清める神事です。

現代の1956年から葵祭に斎王列が復興され、京都にゆかりのある一般女性から「斎王代」が選ばれます。
斎王代に選ばれた女性は唐衣裳装束を着用し、白塗りの化粧をします。

葵祭(5月15日)

宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の3つの儀からなります。

現在、宮中の儀は行われていません。

路頭の儀(5月15日)

本列(検非違使<けびいし>や山城使<やましろずかい>)や女人列(斎王代や女人)の行列が京都御所正門の建礼門丸太町通河原町通下鴨神社の順路で進んで行きます。

平安時代の装束を着た優雅な王朝の行列は総勢約500名、馬36頭、牛4頭、で列の長さは約1kmと圧巻です。

社頭(しゃとう)の儀

上賀茂神社下鴨神社と両方で行われる儀式です。

京都御所を出発した行列が下鴨神社に到着し社頭の儀が行われます。

社頭の儀では、神前で、御祭文が奉上されたのち、「東游(あずまあそび)」が奉納されます。
そのあと、上賀茂神社へ出発し、上賀茂神社でも社頭の儀が営まれます。

まとめ

あらためて、賀茂のお社の葵祭のまとめをします。

本来、秦氏などがお祭りしていた賀茂の神が、京都に都が移されてから、皇城鎮護の神としてしだいに神威を高め、その祭りも秦氏の氏神的なお祭りからしだいに国のお祭りへと進展し、後の賀茂祭の姿を形成するに至ったと思われます。

今行われているお祭りは、まず、勅使を中心に検非違使(けびいし)、山城使(づかい)、内蔵(くら)使、舞人などの旧儀による行列が京都御所を出発し、高野(たかの)川の葵橋を渡って下鴨神社に到着します。

勅使の祭文(さいもん)奏上などのお祭りがあり、神馬(しんめ)の引き回しや舞人の東遊(あずまあそび)などが行われ、祭馬を疾駆させる走馬(はしりうま)が催されます。

ところで雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の即位の年の457年、「騁射(うまゆみ)」を行ったと『日本書紀』に伝えられ、また「賀茂祭に民衆を集めて騎射を禁ず」という記事が『続日本紀』にしるされているところからわかることは、実際には、賀茂社ではかなりの昔から「騁射(うまゆみ)」、後(のち)の「流鏑馬(やぶさめ)」が行われていたことが分かります。

というのも賀茂社の神をなだめるため起こった初めの「葵祭」では、祭馬を疾駆させる走馬(はしりうま)の呪術的神事を行った、とあり、これが葵祭りに不可欠な「流鏑馬神事」になったということのようです。

話をさきほどの葵祭りに戻しますと、ふたたび行列を整えてから、賀茂川堤を北上して上賀茂神社に参向して、同様の祭典、催しを行なって、夕刻に御所に帰還する、というとても優雅かつ壮大な行列となる日本の誇る祭礼です。

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