不思議な神の国の日本
日本には至る所に神社があります。
東京や大阪などの大都会でも、田舎の小さな村にも町にもどこへ行っても一部落ごとに一字(あざ)ごとに、必ずと言っていい程、神社があります。
至る所にいろんな神が祀(まつ)られている国です。
しかも何の違和感もなくわたしたちはそこに生きています。
そこに何らかの力を認めてお参りしています。
どんな力がどんな風にどれだけあるのかわからないまま時々そこの共同体でお祭りを行っています。
不思議な神の国の日本です。
そこで、日本で長く続いているお祭りっていったい何なのか?人はなぜお祭りが好きなのか?なぜお祭りをしたがるのか?その日本全国の気になるお祭りを探訪しながら、以上の疑問の答えを探っていきたいと思います。
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まず、日本三大祭りの一つ、京都、八坂神社の祇園祭
京都はお寺や神社のとても多いところですが、その夏のお祭りで第一に有名なのが京都、八坂神社の祇園祭。
祇園祭は7月1日から31日にかけて京都の八坂神社で行われ、その1ヶ月にわたって、いろんな行事が行われます。
中でも有名なのが、17日(前祭)と24日(後祭)の「山鉾巡行(やまほこじゅんぎょう)」と「宵山(よいやま)」と呼ばれるお祭りです。
京都 祇園祭
祇園祭の由来とその歴史
祇園祭は千年以上続くとても歴史の長いお祭りです。
元々は、御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、平安時代前期の頃に、京都中に起こった疫病神を鎮めるために行われたお祀りが始まりです。
元々は、今から大体1200年位前の平安京の庭園である神泉苑に3つの神輿と66本の鉾を逆さまに立てて祇園の神々を祀ったのがこの祭りの始まりなのです。
この元々のお祭りのことを考えてみます。
まず、66本の鉾を逆さまに立てて祇園の神々を祀(まつ)った、とありますが、これは一体どんな意味がそもそもあるのでしょうか。
八坂神社の御祭神は、古事記や日本書紀の中でイザナキの命がミソギ祓いをした時に生まれた「三貴神、天照大御神・スサノウの尊・月読尊」のあのスサノウの神です。
この三貴神は、それぞれ、太陽、地球、月、そしてまた鏡、剣、勾玉によってシンボライズされる神々です。
京都 八坂神社
しかもスサノウの剣によってシンボライズされる剣は「逆鉾(さかほこ)」とよばれる「天の天照大御神に向かって逆さまに立てられた剣」として象(かたど)られるのです。
ですから、「山鉾」といって先端が山のように矢の形で垂直に立っている鉾や剣が屋台の上に置かれているのです。
言い換えれば、この形は「天地一体・天地合一・剣鏡の神璽(しんじ、神のしるし)・陰陽、男女合一」の神聖なシンボライズすることでもあるのです。
そして六十六本の逆鉾を立てたという元々のお祭りというのは、日本全国六十六州の安寧と繁栄を願って立てて祀る為であったと思われます。
以上が元々の「御霊会(ごりょうえ)」、後の「祇園祭」のお祭りであったのです。そしてその規模が大きくなっていったのは平安時代の中頃からのようです。
つまり神輿渡御(みこしとぎょ)、田楽(でんがく)、猿楽(さるがく)などを加え、町衆のお祭りとしての色彩が濃厚となっていったのです。
その後、この祭りはどんどん絢爛豪華になります。
疫病を鎮めることがそもそもの目的だった祇園祭は、山鉾の派手さや大きさを通してそれぞれの京都の町衆たちの経済力を競うような場として派手になっていったのです。
応仁の乱の頃中断されたものの、1500年ごろには「祇園祭」は復活し、その後、中国・インド・ペルシャなどのタペストリーや装飾品をそれぞれの山鉾に飾るようになって、その絢爛さを競うお祭りになっていきました。
現存する33基の山鉾のうち29基までが国の重要有形民俗文化財に、また17日に行われる山鉾巡行は重要無形民俗文化財に指定され、2009年にはユネスコより祇園祭の山鉾行事が無形文化遺産に登録され、今や京都の祇園祭は日本が世界に誇るお祭りになっています。
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祇園祭の見所
最大の見所は、第一は「前祭(さきまつり)」と「後祭(あとまつり)」です。
祇園祭のハイライトである「山鉾巡行」と「宵山」が行われるため、この期間中に多くの人がやってきますので、早めに泊まるホテルや旅館の予約を取られることをお勧めします。
祇園祭は、7月17日に、神のお出ましである「神幸祭(じんこうさい)」があり、7月24日に元のお宮に帰られる「還幸祭(かんこうさい)」が行われます。
そして山鉾巡行は17日と24日の二度に分けて行われています。
神社の神幸祭と還幸祭とは、全国のどの神社でも同じように行われますが、この八坂神社の山鉾巡行も、町の邪気や穢れを清め、祇園祭の主たる神様である八坂神社のスサノウの神がお出ましになりまた元の八坂神社に帰っていく神事です。
ですから神輿は17日は四条鳥丸から、24日は烏丸御池から出発し、それぞれの町の山鉾を引っ張る町民がこれに続く形で市内を練り歩いて行くのです。
山鉾について
ここで肝心の山鉾について見てみましょう。
山鉾巡行の先頭に立つのは「長刀鉾(なぎなたほこ)」ですが、金箔(きんぱく)の鯱鉾(しゃちほこ)と水引が正面の屋根にあります。
後ろには有名な伊藤若沖(いとうじゃくちゅう)の鳳凰(ほうおう)が描かれています。
後祭(あとまつり)で最後尾を担う「大船鉾(おおふなほこ)」は、神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅(しらぎ)出立(しゅったつ)に由来しています。
この大船鉾は、戦を終えて戻る「凱旋」の場面を表していると言われております。
粽(ちまき)を玄関先に飾る由来
茅の輪のことは古く『備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文(いつぶん)に書かれているのですが、北海におられたスサノウの神が変身をして武塔と名乗って普通の人として南方に行かれた時に、夜になってしまったので、蘇民将来(そみんしょうらい)という者の家に宿をもとめました。
兄弟の2人いたのですが、弟は富んでいたくせにこれを断り、兄は貧しいが喜んで宿を提供したのです。それで武塔と名乗っていたスサノウの神は、近い将来大きな災いが起こることを知っていたので、茅の輪をつくって腰に下げれば災いを免れることを兄に教えて去っていったというのです。その後、ついにその災いの日が訪れて弟一家は死に絶えたが、兄の蘇民将来はその「子孫を疫病から守る」ことが出来たという神話です。
祇園の粽(ちまき)
その「茅巻(ちまき)」が転じて「粽(ちまき)」となったと語り継がれています。
それ以来、粽を玄関先に飾ることが伝統になっています。
粽は各山鉾町によって手作りされており、宵山期間中に八坂神社と各町内にある山鉾の町会所で購入することができるようです。
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神輿渡御(みこしとぎょ)
祇園祭の中で本来最も重要な行事は、いうまでもなく、神輿(みこし)にのった神様が市中を清めて回る「神輿渡御(みこしとぎょ)」です。
三基の神輿(みこし)にのる神様は、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(スサノヲノミコト)と、櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)です。
7月10日に行われる神輿洗式の後、三基の神輿は7月17日の山鉾巡行の後の夕刻まで南楼門前の舞殿に安置されています。
3基の神輿の巡行ルートは別々ですが、出発前に同じ場所で「三者揃い踏み」を行います。
この時に行われる「差し上げ」(神輿を担ぎあげること)と
スサノウの神
「差し回し」(神輿を回転させること)は見所の一つとなっています。
差し上げの際に、担ぎ手の掛け声のもとで、高々と神輿が揺さぶられ担ぎ上げられる光景は、また、見どころの一つです。