天皇とは真我によって日本国民を統合する象徴です

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元号(げんごう)の決め方

徳仁(なるひと)天皇の即位式が5月1日に行われ、同日、令和(れいわ)に改元されます。

なぜ天皇が変わられると元号が変わるのでしょうか。

明治時代以後に、一世一元(いっせいいちげん)という天皇一人に一つの元号が決められたからなんですね。

それ以前は、これといった決まりがなくて、天変地異であるとか、あるいは占いなどで短期間で改善するということもありました。

明治時代の少し前の弘化(こうか、1844~1848) は四年で終わり、明治のすぐ前の慶応(けいおう、1866~1866)は、たったの三年で終わりです。

前回も取り上げましたように、新しい天皇御即位には皇位の証(あかし)である剣と勾玉(まがたま)を表す「剣璽(けんじ)」を受け継ぐ「剣璽等承継の儀」という儀式があります。

剣(つるぎ)と 璽(じ)とは、剣と勾玉のことですが、実は、これに鏡が加わって三種の神器(さんしゅのじんぎ)のことなのです。

「剣璽等承継の儀」
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三種の神器とはそもそも何なのか?

では、この三種の神器とはいったい何なのか、ということを前回に引き続き少し視点を変えて考えてみたいと思います。

そしてなぜ三種の神器が天皇にとって不可欠なのかを考えてみます。

戦前は天皇がご宿泊される時は必ず携行(けいこう)されていたのです。

戦後、昭和天皇の全国御巡幸では警備の面からの観点から一時取りやめとなっていました。

その後、昭和47年の伊勢神宮への参拝の折に携行され、それから平成天皇も即位の伊勢参拝にも、今度の御退位の伊勢参拝の折にも携行 されています。

三種の神器

それほど大切な三種の神器とは一体何なのか、天皇という御存在といかなる関係を有するのか、ということを改めて考えてみたいと思います。

結論から言いますと、この三種の神器というのは、宇宙そのもののシンボルなのです。

どうしてかといいますと、左右に陰陽の勾玉がそれぞれありますが 、陰の 黒い部分の方にある勾玉の中にあるのが太陽です。

それは言い換えれば天照大御神です。

そしてそれは鏡です。

これは天を表しています。

一方、右側の陽の方の勾玉には、地球があり、それは神名で言うと、須佐之男命(すさのうのみこと)ないし大国主命(おおくにぬしのみこと)を表しています。

そしてそれは剣なのです。

そしてこれは地を表しています

この陰と陽の勾玉はそれぞれ天地をあらわし、 暗在系と明在系のこの宇宙の大領域を結びつけるという意味を持っています。

この勾玉は、天の太陽と地の地球 を結ぶ月でもあるのです。

天皇の位につくということは、宇宙の位に着くということであり、それは同時に日本の中心をにない仁愛に基づく理想の国家を目指して、この国を見守り励まし、特に人々と国のために日々祈りを捧げられる御存在なのです。

国と人の幸せと豊かさと安らぎを朝な夕なに祈られ、実際に宮中でお祭りを行われる最高位の神職でもあられます。

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天皇が「日本国民統合の象徴」であらせられる理由とは?

人間の中には真我(しんが、良心に近い)と小我とがありますが、天皇という位はその身を真我とされてそれを国の形にされた御存在であるのです。

だから、日本の国の中心のお方であるのは当然のことであります。

これを「わが国体(こくたい)」というのです。

そういうことから、天皇になられるお方、またそれに準ずるお方は皆、仁という名前を必ずつけておられるわけなのです。

仁という言葉と真我とは同じ意味だからです。

明治天皇は睦仁(むつひと)、大正天皇は嘉仁(よしひと)、昭和天皇は裕仁(ひろひと)、平成天皇は明仁(あきひと)、来る新天皇は徳仁(なるひと)とそれぞれの名前に仁という字が付いているのは以上のような理由からです。

仁愛ということを考えられ、ことに明仁(あきひと)天皇におかせられては、憲法の「日本国民統合の象徴であること」を長い間追求され、人々と同じ目線で人々と同じ苦しみを分かち合い、また喜びを分かち合う「真我(仁、じん)によって日本国民を統合する象徴」という尊い御存在に なられて全国を巡行されたわけであります。

こういう仁愛を国の中心にいただく国は、世界広しといえども、かつてアインシュタインが述べていたように、どこにもない尊い国だ、と言えるのではないでしょうか。

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