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白髪をカミングアウトした近藤サトさん「徹子の部屋」に出演の追記
前回の”白髪をカミングアウトした近藤サトさん「徹子の部屋」に出演”に追記します。
というのも、近藤さんの言い分に少し異を唱えた自分の勘違いであったことが「徹子の部屋」に出演された際の話ではっきりわかったからです。
近藤さんの言として、
また、私(近藤さん)は最初は白髪がすごい嫌でストレスだったんです。ちょっとでも白髪が出たら染めなきゃって。
でも、2011年に東日本大震災があって、その後に防災グッズを整理している時に白髪染めもバッグに入れようとして、ふと「これっておかしくないか?」と思って…。
その時に“年齢に抗わない”という新しいステージが見えました。
という近藤さんの記事に対して、私は
「このコメントに少し違和感を持つのは、私だけでしょうか。
というのも、2011年に東日本大震災でのこの世の修羅場に苦しんでいるおられる人がいるのに白髪染などというおしゃれをやっている場合か、というお気持ちのことを言っておられるのかな、と推察したんですが、もしそうなら、わたしはやはり違和感、それって、やはり違うんじゃないのかな、と思います。」
」と、その違和感を申しましたが、どうやら誤解でした。
そういう意味とはかなり違うということが分かったからです。
[近藤サト]のプロフィールを更新しましたhttps://t.co/1bQ03aGuXw pic.twitter.com/WoMH7NQnct
— PASONICA JPN (@pasonicajapan) February 14, 2019
申し訳ありません。
震災のような非常事態の時に白髪染が本当に必要か、とハタと考えた時、”染める”ことを考えているうちに、五十歳になったということもあって”染める理由が”なくなったと思い、近藤さんは止(や)められた、とのことで違和感を覚えた考えとは違っていました。
ただし、若さを保とうとすることに白髪染が入るとして、これを”時代遅れ”と断ずるのは、やはり、いかがなものかとは思いましたが、皆さんはどう思われたでしょうか?
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これからの白髪への自由な在り方
たしかに、なんかよく似合う美しい白髪の方も時々おられますが、これは近藤さんも引用された源氏物語の「末摘菜(すえつむな)」の中に、光源氏が一夜を共にした常陸宮の娘の醜さの描写に鼻の先が赤く、髪が白髪という描写があります。
やはり、昔から白髪は老醜(ろうしゅう)の一つととらえられる傾向があるんですけれども、近藤さんは、今の時代、そうした呪縛(じゅばく、心理的に人の心をしばる)から解放された自由な在り方をめざしたいとのこと、それはそれで素晴らしいことだと思います。
そして、近藤さんは、日本大学藝術学部放送学科で、アナウンス実習、朗読、卒業研究指導をされているとのことで、番組の最後に、森鴎外の「高瀬舟(たかせぶね)」の朗読を披露してくださいましたが、独特のアクセントを入れたその声と朗読の張りは、さすがに素晴らしく、思わず聞きほれてしまいました。
正直もっと聞きたかったです。