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自然体の近藤サトさん「徹子の部屋」に登場
近藤サトさんは二年ほど前から白髪染(しらがそめ)めをやめ、、元々、自分でも”老け顔”と思っていたこともあってか、楽になりたいとの思いもあり、白髪を隠さない自然体を決意したといいます。
そんなことをも含めた近藤サトさんの近況が、来る二月一四日の「徹子の部屋」で聞けますよ。
近藤サトさんのプロフィール
生年月日: 1968年7月11日 (年齢 50歳)
生まれ: 岐阜県 土岐市
身長: 162 cm
学歴: 日本大学芸術学部卒
配偶者: 今岡 寛和 (2003年から)、 十代目 坂東 三津五郎 (1998年 – 2000年)
1991年4月に近藤アナは大学卒業後、にフジテレビへ入社し、「FNN NEWSCOM」「FNNスピーク」など多くの報道番組に出演、だけでなくアナウンサーとしていろんなバラエティ番組でも活躍されていました。
1998年9月にフジテレビを退職後もその美貌とアナウンサーとしての才覚でフリーランスとして出演、またナレーションには定評があり、「有吉反省会」や「ビートたけしのTVタックル」のナレーションは皆さんお馴染みではないでしょうか。
現在もナレーションは現在も継続されていますが、その他にも日本大学藝術学部放送学科で特任教授(非常勤)を務め、アナウンス実習、朗読、卒業研究指導をされているようです。
近藤さんは1998年11月に歌舞伎役者・10代目坂東三津五郎さんとご結婚されていますが、わずか二年ほどで離婚していますが、やはり歌舞伎界特有のしきたりの厳しさや、また坂東三津五郎さんには先妻との間に長男がおり、後継者争いを避けるためサトさんには男のお子さんを産むことを禁じられていたとかいろんなしがらみ(束縛)があったようです。
また近藤さんは2003年12月に再婚されています。
再婚相手は今岡寛和さんというイベント企画会社「アイ・アンド・エフ」の社長だそうです。
この今岡寛和さんはあの「神戸ルミナリエ」をプロデュースし「東京レミナリオ」も企画した人です。
お子さんも男の子がおり、今度は前回のようなしがらみもなくお幸せのようです。
さて、サトさんは二年ほど前から自然体がいいとの決意から白髪染をやめたんだそうです。
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近藤さんの発言 白髪染は時代遅れ?
近藤サトの白髪… まだ40代なのに何があったのか。。 pic.twitter.com/T67V7ux8Cy
— hoymi (@hoymi) May 4, 2018
年齢に抗(あらが)わないのは、若さにしがみつかないということ。若さにしがみつくのは“時代遅れ”だと思います。これまでいろんな経験を経て、それって馬鹿らしいなと思ったんです。
これってどうなんでしょうか。
このコメントだけだとその真意がよくわからない、と思うのは私だけでしょうか?
しがみつく、というとみっともないマイナスイメージが伴いますが、”若さを保とうとする”というと、マイナスイメージはないですよね。
その同じ内容が、言い方で違った印象を与えるといういい例ですね。
それに、”時代遅れ”という結論も気になります。
”若さを保とうとする”ことが何故”時代遅れ”なんでしょうか?
心身共に若いことは何歳になっても人の願いなのではないですか?
早くふけること、顔に皺やしみや黒ずみや白髪をなくしたいという思いが、なぜ時代遅れなのかよくわかりません。
未来の世界では、こういう願いは一切なくなるということは考えられないからです。
そんな意味じゃないとしたらどんな意味でしょうか。
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もう一つの近藤さんの発言ー“年齢に抗(あらが)わない”
また、私(近藤さん)は最初は白髪がすごい嫌でストレスだったんです。ちょっとでも白髪が出たら染めなきゃって。
でも、2011年に東日本大震災があって、その後に防災グッズを整理している時に白髪染めもバッグに入れようとして、ふと「これっておかしくないか?」と思って…。
その時に“年齢に抗わない”という新しいステージが見えました。
このコメントにも少し違和感を持つのは、私だけでしょうか。
というのも、2011年に東日本大震災でのこの世の修羅場に苦しんでいるおられる人がいるのに白髪染などというおしゃれをやっている場合か、というお気持ちのことを言っておられるのかな、と推察したんですが、もしそうなら、わたしはやはり違和感、それって、やはり違うんじゃないのかな、と思います。
あなたが、あのよくテレビで放映されているユニセフのアフリカの大変悲惨で過酷な餓えに苦しんでいる画像を見て、あなたが「白髪を染める」ような「若さを保つ」行為を「これっておかしくないか?」と思ってこれをやめることが、いい、ないし人として正しい、ということになりますか、ということです。
果たして、アンチエイジングはいけないことなのか?という疑問です。
それは十人十色でよいのではないか、ということです。
もっと自由に考えたいということです。
そういう違和感を近藤さんの発言に感じました。
私の誤解かもしれません。
勘違いかもしれません。
さあ、この白髪染についてどんなコメントを近藤さんが発信されるのか、来たる一四日の「徹子の部屋」が楽しみではあります。
「徹子を部屋」を見て追記するかもしれません。