一年の計は元旦にあり
新年ももう10日も過ぎ、みなさん初詣にそれぞれの神社仏閣(じんじゃぶっかく)に参拝されたかと思います。
一年の計は元旦にあり、と言いますから、これに則(のっと)って、今年の決意をもって生まれ育った神社やご利益のありそうな有名神社に行かれたかと思います。
もう10日も過ぎてしまったので、いまさら”やってはいけない神社参拝”だなんて、
”早くいってよー”ですが、大事なことなので黙っているよりはいいと思いなおしてお話しします、一神主として。
今後に役立ててください。
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祈願の仕方
元旦の初詣では、みなさんは単独に祈願といいますか、あるいは神職を通しての御祈祷(ごきとう)というものをされたかと思います。
祈祷という言葉は神仏など不思議な力に対して少しでも願いや期待の結果を得るために、自分だけでなく神職や僧侶の方々に依頼します。
どちらかというと、他力本願ですよね。
一方、祈願という言葉だと、自分で祈りお願いするといったニュアンスがあるかと思います。
いづれにしても神社やお寺に行って行います。
問題は次のことです。
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あなたの祈り方は?
祈り願う時、どんなふうに祈り願いますか?
「○○大学に合格しますように」と祈った時、その時、合格して嬉しくて嬉しくてうれし涙を流している自分の姿をあなたははっきりと見ることができていますか?
そうなったら何故嬉しいのですか?
親や家族が喜び、その大学で学んだ学問を生かして、自分が世の人々や環境に役立つ人間になって嬉しい未来を本当に見ることが出来たとしたら、あなたは必ず合格できます。
そういうあなたの<今の意識>があなたの未来を現実化させるからです。
また、こういう祈り方をすると、その神社なら神社の霊的に高い神々の想念に共振して現実化、現象化が一層うながされるはずです。
どんな神社に行っても、自分が霊的に高い神々の想念に共振せず、そこにある低い想念に共振して帰ってくればいわゆる悪いものを背負ってくることにもなってしまうのです。
御利益があるからといってやたら神社巡りをしても、そのひとの発する振動の波長に合うものしか受け取れないようにできているからです。
パワースポットといわれるところであっても、誰にとってもそうではない、ということです。
個人差が出るのはあたりまえです。
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やってはいけない神社参拝
ところが、「○○大学に合格しますように」と祈った時に、合格している自分が考えられず、ただ競争心や虚栄やプライドから何としてもその大学に合格したい、その合格が欲しい、と嘆願、哀願という心で祈願する時、その人の合格する可能性はきわめて低いです。
「健康が欲しい」
「お金が欲しい」
「恋人が欲しい」
「欲しい、欲しい」
欲しい、とは「欲しいものがここに無い」ということですから、その強烈な「無いという想念」が現実化、物質化、現象化しているのです。
それで「神も仏もあるかい」という結果になる可能性が高いです。
”やってはいけない神社参拝”とはこのことです。
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まとめ
あなたはどこかで、「神社に行ったらお願い事をしてはいけない。感謝をのみ申し上げなさい」ということをお聞きになったことがあるかもしれません。
この真意を理解する人は願いの大いに叶いやすい人だと思います。
この仕組みやカラクリについては私の別のブログ「天児屋根命の伝える生きる秘訣」の中の[神社神道の「引き寄せの法則」は予祝行事(よしゅくぎょうじ)にあった」や「前祝いのススメ―鹿島神宮の祭頭祭(さいとうさい)」で述べましたので興味のある方は読んでみてください。