秋篠宮殿下の大嘗祭への発言が話題になる理由
そもそも大嘗祭(だいじょうさい)ってどんなお祭りなのか、ということですが、これを説明するには、新嘗祭(にいなめさい)というものを知る必要があります。
わが日本では、お米を始め五つの穀物(こくもつ)は、弥生の大昔から、食べ物の中心になっています。
その五穀(ごこく)の新穀(しんこく、新しい穀物)を天皇自らが天地の神々にお供えし共に食してその収穫を感謝し併(あわ)せて世の平安を祈るお祭りを昔は「新嘗祭(しんじょうさい)」と言いました。
その新嘗祭までは新米を口にしないという風習が今でも残っているところがあり、それほどこのお祭を神聖視していました。
昔から11月23に行われていましたが、終戦以後「勤労感謝の日」として受け継いでいます。
その昔の新嘗祭を新しい天皇の即位の年に一代一度の新嘗祭をあらためて「大嘗祭」と呼んでいます。
これを宗教色が強いので政教分離に反するのではないか、したがって憲法に触れるのではないか、であれば公費ではなく皇室内定会計で行うべきではないか、というのが秋篠宮殿下のご意見のようですが、新天皇の即位の礼もこれに伴う大嘗祭も不可欠に結びついた伝統の儀礼に属するものである、とも考えられます。
もしそうした儀式・儀礼の範疇に属するとすれば、儀式は憲法第七条十号によって天皇の「国事行為」と明記されているので問題ない、ということになります。
外国でも、例えばアメリカ大統領はキリスト教という宗教の聖書に手をおいて神に宣誓をする儀礼をおこなっています。
イギリスでも、キリスト教の大司教の下で、王室の戴冠式の儀式を行っているのです。
これらにはすべて国費が充てられていると思います。
仮に宗教色が日本の方が強いとしても、かつての津市が公費を使って神道式の地鎮祭を行った時の最高裁判所の判決は、憲法違反ではなく、合憲でした。
その理由は:
1、神道式の地鎮祭は、特定の宗教ーこの場合は、神道の教義を広めようとして行われているわけではないこと
2、広めようという意図で市は金銭の支出をしているわけではないこと
3、地鎮祭を行うことで他の宗教を圧迫する効果があるわけではないことことなど
以上の理由によって、津市の神道式地鎮祭に市費をあてたことは、憲法二十条の政教分離に触れたものではないと判決したのです。
これを参考にすれば、新天皇の即位の礼もこれに伴う大嘗祭に国費を充てることも政教分離の観点からも違憲だという判決は出ないと思います。
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「身の丈(たけ)に合った」という秋篠宮殿下のご意見について
もう一つ、この度の即位およびこれに伴う大嘗祭も「身の丈に合わせて出費すべき」との秋篠宮殿下のご提案ですが、しかしよくよく考えてみますと、「国民統合の象徴である、尊い天皇になられる身の丈」ですから、大変大きな身の丈であるはずで、したがって費用が大きいのは当然といえるのではないでしょうか。
前回の大嘗祭では、その費用は二十二億五千万とのことですが、これを大きいとみるかどうかはよくわかりませんが、この度、秋篠宮殿下がお入りになられる皇嗣(こうし、皇位継承第一位)としてのご住居の改装費が三十億を越える額とお聞きすると、「ん?」と誰にも反応されてしまわないでしょうか。
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